のんびり

今日は一日時間があるので、午前中は中国に持ち帰る食料品などの買い出し。
昼ご飯は外で食べようと、近くにあるいつも混んでいる店に行ってみたが、
味も内容も期待したほどでもなかった。二度と行かない笑

ご飯を食べたらお腹がいっぱいになったので少し休憩をしたのち、今日もお出かけ。

日本

今日から中国の連休が始まるので、例によって例のごとく日本に帰国。
今回は少しでも日本滞在時間を増やすために、ちょっとお金をかけて朝の便で帰国。
それはいいんだけれど、朝早く起きたので眠気がすごい。

正直慣れてくると北京東京なんてあっという間。
飛行機乗って京急のって山手線乗って家に到着。

帰宅して遅めの昼ご飯を食べながら、郵便物の整理と荷物の整理。
毎回期間が短いので、やらなければならないことが多いので時間を無駄にはできません。
ちょうど帰国のタイミングで本人限定郵便が届く予定にしていたのですが、
受け取り待ちの時間を節約するために、郵便局まで受け取りに行きました。

そのあとそのまま出掛けてくる。夕飯は外で食べて、夜遅くに帰宅。
本当に、日本に帰ってきた方が忙しくなる。

2016-06-09 18.35.47

<Farm to Table De Salita>
東京都国分寺市本町2-14-3 アイティープラスビル 1F
042-312-0444
http://tabelog.com/tokyo/A1325/A132502/13193406/

普通のことが、うれしい

急遽ある品物を調達しなくてはいけなくなり、
日本にいる期間中に届けてもらえるお店を探していくつか連絡をしたところ、
あるお店が期限に間に合って納品できるとのことで、今日朝に発注した。

注文までに数回のメールのやり取りをしていたのだが、
親切丁寧な様子がメールからも伝わって、ほっとする瞬間だった。
内容はいたって普通のやり取りだし、応対態度が特別すごいことはないんだけれど、
その、当たり前がちゃんとできていることだけで、こちらの気持ちも穏やかになるので不思議だ。

最近は普通のことができなくなっている世の中だ、ということもあるかもしれないし、
あるいは中国にいるからという可能性も大いにあるのだが、
その普通のことが嬉しく感じられる気持ちは大切にしたいし、
逆に自分も、普通でいいからきちんと応対したいと改めて思いました。

「ヒロイン失格」

桐谷美玲がコメディやったというから見た……
……いや、本当は1月の帰りの飛行機で見たいと思える映画がなさすぎてしょうがなく見たんだけど、
それにしても面白いところが少ない作品だった。
(そういう作品の半分は、意外と面白くて評価が高めになる傾向にあるんだけど。)

前半、はじめの方は新鮮味もあっていいけど、
後半はダレるわ、余計なストーリーが増えるわ、最後は演出で無理矢理締めくくりに入るしで、ちょっと損した気持ちになる作品だった。

漫画もこんな感じなのかな、んー。よく映画化したな、という印象。
桐谷美玲だけでもっている。うん。

関ジャム

昨日の夜にやっていた、「関ジャム」という番組で、
音楽プロデューサーが語るヒット曲分析というのをやっていて、
これが自分のツボにドンピシャはまったのでご紹介。

音楽プロデューサーの蔦谷好位置さんとヒャダインさんが登場して、
「これはやられた!」と思う曲(音楽的にすごい、と感じた曲)の紹介などをしていた。

蔦谷さんが、平井堅さんの「瞳をとじて」のサビに入る前のコード進行が、3回目だけ工夫されていることを紹介していたのだが、
こういうところを紹介されると、本当にニヤニヤしながら見てしまう。
複雑なコードを足すことで、曲に深みが出ることはあるよね。

追加でいうと、逆に、清楚な雰囲気を売りにしている若い歌手の場合、
わざと単純なコード展開を使うことで、ピュアな感じを出したりとか、
プロデューサーは工夫していると思います。

あと、1つの曲を聞いたときに、
「ここはこういうアレンジにしたらいいのに!」と考えながら聞いてしまうというのも、僕としてはあるある。
よくそういうことを考えてしまうので、僕は歌詞が耳に入ってこない病気。

他にも、メロディラインに使う音を減らす、和風のサウンドなど、
僕も「あるある」だと思ってしまうネタを紹介していたので、これもニヤニヤしてしまう。
いやあ、面白かったわー。

ただ、マニアックすぎて、ついていけないっていう人が続出していたのではないかと、ちょっと心配になってしまうよね。

欲を言えば、番組では、分かりやすくするために、
メロディラインをドレミで紹介したり、コードを紹介したり、ある時は譜面を直接出していたりしたんだけど、
1か所(厳密には2か所)ドレミ表示が間違っていたのと、
(その曲の調からして、)フラット表記した方がよいところをシャープ表記にしていた(これは厳密には間違いではないからいいのだが)のは、
音楽を特集するこの番組なら気をつけてほしいところだったかな。

空気が悪い

日本は梅雨入りらしいですが、北京は相変わらず晴れ+靄。
夏になって日差しが強くなると、PM2.5が見にくくなるので、
マスクをつける人が減りますが、実際は150~200ppm程度の数値です。ありえん。

昨日今日と出掛けていなかったので、夕方に思い切って出掛けてきた。
三里屯のさぼてんでとんかつ食べて、ヨーカドーで買い物して帰ってくるという定番の流れ。
それでも、出掛けないよりはストレスの発散具合が全然違う。

土曜日

相変わらず空気が悪いので外に出かける気が起きない。
もう空気が悪いのが、1ヶ月ぐらい続いているのではなかろうか。
夏の日差しを、新鮮な空気とともに外で味わいたいものです。

ということで午前中はブランチ見ながら、午後はラジオを聞きながら、家でごろごろ。

ルノワール展

はや先月の話ですが、ルノワール展に行ってきたので感想を。

といっても、感想といえばもうこの1つしかありません。「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」!
この何とも長ったらしい名前のルノワールの代表作が初来日していて、
その作品のインパクトに圧倒される展覧会だった。

ダンスをしている場面なのだが、今にも動き出しそうな人物たちと、
その賑やかな様子からその場の音(ガヤガヤした雑音のようなもの)がそのまま聞こえてきそうな迫力のある絵だった。
これは確かに名作と言わざるをえない!

僕のように絵に詳しくない人にこそ、この絵を見て迫力を感じてもらいたい。
プロフェッショナルの作品は、素人をも感動させるものです。

印象派なので、そのほかの数々の作品も鮮やかなものが多く、楽しめます。
引き続き開催中なので、気の向いたかたは是非。

成功体験より、失敗体験を継承せよ

人は誰でも自分の成功体験をよりどころに生きてしまいます。
昔の成功体験を部下に押し付けて、部下が「そうじゃないんだよなあ」となるシーンはたくさんありますよね。

先日会社で、5月末で退職される方の講演があった。
人事が気を利かせて、最後の一言を講演と言う形にしたようだ。

その方は、これまでの中国での仕事の歩みを紹介していたのだが、
特徴的だったのは、その方が経験した大きな失敗を紹介していたと言うこと。
全体を通じて本当にいい講演だったし、勉強になるなと素直に感じられる内容だった。

成功体験は押しつけになるが、失敗体験は人生勉強になる。
僕自身も誰かに何かを教えるときには、失敗体験を中心に伝えていくようにするのがよいのかも、と思った。

ステレオタイプなのはどっちだ?!

こないだ、文系のおじさんに囲まれて、
「理系って何がいいの、答えが一つに決まるから?」
という、周りに文系が多い時に理系が聞かれる質問ランキング1位の質問を投げかけられた。
ちなみに、この質問は、
(文系はもっと複雑で、答えが一つじゃないんだよ!)みたいな意味が含まれることもある。

あるあるだよね~。

さて、今日はこの質問についてちょっと考えてみる。
まず「理系は答えが一つ」だというステレオタイプな意見について。

今の近代科学において、理系の人間で、理系は答えが一つだと思っている人なんて、
ほとんどいないのではないだろうか。
(むしろそうだったらどれだけ楽なことか、と思っているはずだ。)

計算の答えは一つに決まるだろうけれど、
現代数学の半分は抽象的な概念を数学の言葉で定義し、
その定義された世界でどのような性質が成り立つか、ということを考える学問だったりする。
問題が与えられて、はい答えがいくつです、という単純なものではない。

科学(物理や生物学、薬学など)といった学問では、
そもそも理論物理では確かに物理の真理を求める部分もあるだろうが、
現実の世界でそうも綺麗に成り立つものではない。
外的要因や誤差というファクターに悩まされながら、現代技術や研究に応用されていく。
医学や薬学などは、もっと生物と言う生身の存在に近いところでの学問だ。

つまり、答えが一つだから、という発想は、
理系=中学や高校で学ぶ数学のようなものをやる人、というイメージから脱却できていないということであって、
それこそ「答えを一つにしてしまっている(色眼鏡で見てしまっている)」ことの象徴的なやり取りだと思う。
文系こそ、一つの物事に一つの答えを求めたがっているのではないのか?

いろんな角度から学ぶこと、これができないと成長はない。