こないだ、文系のおじさんに囲まれて、
「理系って何がいいの、答えが一つに決まるから?」
という、周りに文系が多い時に理系が聞かれる質問ランキング1位の質問を投げかけられた。
ちなみに、この質問は、
(文系はもっと複雑で、答えが一つじゃないんだよ!)みたいな意味が含まれることもある。
あるあるだよね~。
さて、今日はこの質問についてちょっと考えてみる。
まず「理系は答えが一つ」だというステレオタイプな意見について。
今の近代科学において、理系の人間で、理系は答えが一つだと思っている人なんて、
ほとんどいないのではないだろうか。
(むしろそうだったらどれだけ楽なことか、と思っているはずだ。)
計算の答えは一つに決まるだろうけれど、
現代数学の半分は抽象的な概念を数学の言葉で定義し、
その定義された世界でどのような性質が成り立つか、ということを考える学問だったりする。
問題が与えられて、はい答えがいくつです、という単純なものではない。
科学(物理や生物学、薬学など)といった学問では、
そもそも理論物理では確かに物理の真理を求める部分もあるだろうが、
現実の世界でそうも綺麗に成り立つものではない。
外的要因や誤差というファクターに悩まされながら、現代技術や研究に応用されていく。
医学や薬学などは、もっと生物と言う生身の存在に近いところでの学問だ。
つまり、答えが一つだから、という発想は、
理系=中学や高校で学ぶ数学のようなものをやる人、というイメージから脱却できていないということであって、
それこそ「答えを一つにしてしまっている(色眼鏡で見てしまっている)」ことの象徴的なやり取りだと思う。
文系こそ、一つの物事に一つの答えを求めたがっているのではないのか?
いろんな角度から学ぶこと、これができないと成長はない。