携帯について

 今日は雨だというので、雨の降っていなかった朝のうちに研究室に顔を出し、雨の降っていなかった昼前に帰宅しました。午後は昼寝。
 夜から勉強開始です。

 今日は研究室でAERA(5/31号)をざっと読みました。面白かった記事は、携帯関係の2つの記事。

 1つ目の記事は「INFOBAR制作ドキュメント」。auから発売されているINFOBARという携帯がありますよね、あのスタイリッシュなデザインの携帯です。
 携帯の業界というものは、機能を優先するあまり、大体のデザインが決まってしまうのだそうです。それに対してこのINFOBARは、完全にデザインを優先して作ったものだそうです。そのため、素材や塗装、ボタンの押し具合に到るまでほぼ全ての過程で今までの方法が使えない、1からの技術作成になったのだそうです。
 その分、時代に逆行したとも言えるストレート型(折り畳みではない)であるにもかかわらず、爆発的な売り上げを記録した。
 これは、冒頭の記事(サムスンの技術)にもありましたが、これからは技術のレベルはほぼ同じになる、そこで必要なのはデザインだという発想です。
 ちょっとしたプロジェクトXを読んだ気分。

 2つ目の記事はその直後の記事、「女子高生はケータイで脱皮する」。
 ある女子高生は携帯を3ヶ月に1回ほどのペースで更新する。それは、彼女の気分によっているという。つまり、彼と別れたとか、友達とケンカしたとかそういう時。
 もちろん新規契約。それは、機種変に対して安いというだけでなく、番号が変わるというメリットがある。いらなくなった番号を選び、新しい自分になるという。
 ある子は、携帯に代わりに死んでもらうのだという。死にたくなったとき携帯を変える。本当に死にたいというわけでもない、ただ死にたいという気分を変えたいのである。そこで携帯に代わりに死んでもらう。彼女たちにとっては、「番号を変えました」メールを送るのも、番号を登録し直すのも、そういった自分を新しくする儀式なのだという。
 後半は、女子高生が技術を発展させているという話。女子高生が要望した機能は各社が争って付けようとする。つまり、携帯会社は女子高生という有能なマーケティング能力をもった社員をもっているのと同じだという。だから、授業中ハンカチに包んでブラインドタッチする女子高生のために、押しやすい、そして押すときに音のしないボタンの開発に各社が力を注ぐのだという。面白いものだ。
 僕は前半の、女子高生の摩訶不思議な、そして理にかなっているとも取れる考え方に興味を持つ。女子高生は文章だけでコミュニケーションを取れる希有な存在だという。それはある種の特殊な才能なのかもしれない。これがいつ文学的な才能を呼び出すか、それは大人達の課題なのかもしれないと記事は締めくくる。