「試験に出るパズル」/高田崇史

 実家から持ってきたミステリ・シリーズ第2弾。高田嵩史さんのシリーズです。QEDシリーズが有名で、それもあったんだけどちょっと興味のあったパズルシリーズの方から読み始めました。今まで読んでた森博嗣に比べればこっちのほうが謎解き感がUP。あと読者と近い感じもする。森博嗣の作品はなんか遠い世界の話のように思えてしまうから……なんて比較ばかりではダメですな。

 有名な論理パズルがいくつも登場するこの作品。作品のトリックもパズルや謎解きがメインで、こんな日常があったらどれだけ面白いことか、と思ってしまうものです。ただパズルやミステリで重要な“設定”が千波くんのセリフによって雁字搦めになっていくのには違和感を覚えてしまった。これはだめ、あれはだめ、っていう禁止事項の条件が多い。なんかサプリガードみたいだ。

 解説にもあったけど、この中でもっともパズルらしいパズルは最終話、嘘つき小僧が出てくる話だ。「天国と地獄の分かれ道にいる案内人は、嘘つきか正直者かわかりません。天国に行くにはどうしたらよいでしょう?」は非常に有名なパズルだけど、この応用版が小説になってしまうという興味深いストーリー。実際パズルとしても非常に出来がよいと思いました。

「死神の精度」(単行本)/伊坂幸太郎

 伊坂作品が待ちきれなくて、図書館で単行本を借りて読んでしまいました。ここに単行本で読んだものを書くのは初めてかな?
 
 短編6作。ダークとライトの間。伊坂幸太郎の絶妙なバランス具合が発揮されている作品。
 短編といえば「チルドレン」を思い出すけど、今回はそれほど関連もない。ただ今回も少しだけ前のストーリーの人物が出てくる。どうせ出すならもっと絡ませたらいいのに!と思ったのは僕だけではないはず。
 死の判定をする死神。そのトリックをうまく使った事件もいくつかあるし、考えさせられる作品もあった。「旅路を死神」という作品はまさにそれ。うまく構成してあるなぁと思いつつ、いろいろ考えてしまった。僕のお気に入り。
 あと最後の「死神対老女」もなかなか。最後のストーリーとだけあって普段と雰囲気が違う。老女の生き様はすごい、そしてそのキャラクターを生み出した伊坂幸太郎もすごい。
 
 来年春に映画化ってことでこれも是非見に行こう。

「イニシエーション・ラブ」/乾くるみ

 友人に薦められて読み出した本書。最後の最後で、「え?」ってなってしまうこと請け合い。読み返したくなる小説、っていう触れ込みはそれほど嘘じゃない。

 ところどころで違和感を感じつつ、最後を読んだときにやはりクエスチョンマーク。ただし、最後のほうの情報はかなりのヒントになっていて、それらの条件を組み立てなおすと自ずと答えが出てくる。単純な答えを出すだけなら、ぱらぱらと本をめくり返しながら事象を整理するといった、まさに数学的な頭の運動です。
 とはいえ、その全貌をきちんと把握するにはきちんと読み返して表でも書かないといけないなぁ、と思って検索してみたら、答えが書いてあるウェブサイトがあった。かなり細かいところまで解説してあって非常によかった。半分ぐらいは分かっていたことだけど、「そんなところにも仕掛けがあったのか!」と思うところも多々。

 さくっと読めて、深読みしなければ青春恋愛となるこの作品。そして最後を読むとからくり小説にもなるというおいしい作品。たぶん「読み返したくなる」っていうのは小説の面白さじゃなくて、その全貌を把握するために調査のために読む、っていう状態なのかな。
 普通はそんなことをいうと、「作品の面白さはどうした?」ってことになりそうだけど、「イニシエーション・ラブ」の著者は数学科卒。そう考えてみると、調査のために再読、真剣に読み直すという読み方は、案外悪い意味ではなく、むしろそれが狙いでした、なんていうように思われているのではないだろうか。是非ご一読を。

「冬」/森博嗣

 ゴメン、意味わからんだ!

 一気に読み上げた四季シリーズ最終巻。おそらく春夏秋冬全部で1週間かからず読み終えたと思います(読書メモは飛び飛びですが)。

 最後に難解なものがきた。とにかくよく分からない。
 またいつか、読み返してみるときがくるかもしれないなあ。

「秋」/森博嗣

 ものすごい勢いで読んでいる四季シリーズ第3弾。
 
 やはり犀川だったのか、というのが最終的な感想。Vシリーズを読んでいても、そして自分の日記を読み返しても、犀川こそ四季と対話可能な人間だったということに、ここにきて再認識するとともに、ようやく飲み下すことができた。
 萌絵と四季と犀川と。「夏」と「秋」では四季の主観はほとんど入ってこないので、周りの様子から四季を思い描くことしかできないが、やはり「Fになる」のときの事件をきちんと振り返る必要がありそうだ。

 Fになるは読んだんだけど読書メモが残ってないんだよね、もう一度読み返そうかちょっとまよっていたりするのだ。

秋刀魚

昨日は結構飲んで帰ってきたこともあって、午前中はゆっくり睡眠。

昼過ぎにぼそぼそ起き出してテレビなんかを見てみる。アタック25が芸人大会でレベルが低かった。問題が簡単だよ(汗

夕御飯の買い物。僕の大好物であるところの秋刀魚が売られていたので購入。内臓取ってもらいたかったのに時間が遅くて断念。
しゃーないか、自分で取ってやるよ!
――簡単に説明するとさ、関西では塩サンマなるものが売られているんですよ、これは内臓取られているという優れもの。それに対して関東はそれがない。

ということでネット検索。いやあ、最近は便利な世の中だね。こんな料理下手な僕でも綺麗に内臓除去。
そして焼いて食す。今日は時間もあったので大根おろしも添えて。うん、やっぱり秋刀魚は美味いな。

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■秋刀魚

夜にYahoo!動画でエヴァの1話を見る。映画版と違っている点もちらほら。でも、なんだこれ、ちょっと面白いかも!

「ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序」

 大学時代の友人と映画を見に行った。もともとは見る予定はなかったんだけど、ちょっと前にチャットで話しているときに、行こうか、ファーストデーだし。みたいなノリで見に行くことになった。その友人とは2年半ぶりぐらい、懐かしいこともあって楽しみだ。

 エヴァといえば10年以上前、中学生のときに見てチンプンカンプンだった思い出しかない作品だけど、今回リメイクされるということでちょっと楽しみだった。本当ならもう一度オリジナルのテレビシリーズを見直してみたかった。10年経って大人になったし、少しは中身が理解できるかなぁ、なんて思ってみたわけだ。

 で、実際の映画はかなりのスピードでストーリーが展開していた。そりゃあテレビ6話分を1本の映画に押し込めるんだから、だいぶはやいわけだ。
 当時よりシンジの気持ちにシンクロできたかな。いや、当時のほうがシンジのことを分かっていたのかもしれないな。タイトルどおり「序」ってことで、これからが重要だとは思うけど。

 ところどころに懐かしいシーンがあった。確かにそんなシーンがあったなぁと。極めつけは最後の最後。宇多田ヒカルのエンディングとともにスタッフロールが流れた後のアレには本当に感動した。懐かしさを覚えると共に、そのニクい演出に、劇場全体がおー!となった。そして拍手。
 映画館で拍手が起こるなんていう経験は初めてかも。

 見たあとに余計にテレビシリーズを見返したくなった。どんな話だったっけ(汗

 ちなみに見終わったあとに友人と飲みに行って4時間ぐらいしゃべってた。うわー、めっちゃ楽しかったわ~。

「夏」/森博嗣

 四季シリーズ2作目の「夏」

 四季シリーズは、S&MシリーズとVシリーズとをつなぐために、その裏に隠されたエピソードに触れるためのお話になっている。
 S&MとVを読んだだけでその背景を知ることができなかった人は、これを読んで「そうだったのか」ということになるし、ネットでたくさん書かれているように、そしてこのレビューでも書いてしまったように、いくつかの手がかりを元に推測をしていた人にとっては、「やっぱりそうだったんだな」とひとり顔を緩めてしまう、そんなサービス精神満点の作品なのである。

 今回はいよいよVシリーズと交差する。同時に四季の性格が少しずつ見えてくる作品である。当初四季は「並列処理ができるコンピュータ頭脳の人間」ということで考えていたけど、今作品では恋をしたりいろいろ悩んだりと大忙しだ。もっと冷徹な人間の設定なのかと思っていたら、意外と普通な部分が見えてしまって、これでは並列処理ができるところ意外は普通の人間に近い気がする。

「春」/森博嗣

 Vシリーズに続けて四季シリーズに突入。4部作の1作目「春」です。

 どうやらこの四季シリーズはミステリではないらしい。しかし、このサイトのレビューを常々読んでくださっている皆様ならそんなことはどうでもいいことだと一蹴してくださることだろう。その通りである。何度も何度もうるさいほど書くが、森博嗣の作品は、作品自体がトリックなのだ。

 紹介によればS&MシリーズとVシリーズをつなぐということだったが、今回の作品は四季の幼少時代を描く導入部。一人称が透明人間というやや不思議な設定で始まるが、森博嗣の作品に透明人間などという非科学的な(?)存在は不必要なのである。当然これは何らかの叙述トリックだと考えれば、これまでの森博嗣読者なら簡単に見抜けるトリックだ。ああ、もう頭脳が森博嗣病だ(汗

 どちらかというとVシリーズの登場人物がたくさん出てくると思ったら、そりゃあ時代的にそういうことだもんね。次の夏がどの時期かはしりませんが、いよいよVシリーズと絡んでくるのかな。