「秋」/森博嗣

 ものすごい勢いで読んでいる四季シリーズ第3弾。
 
 やはり犀川だったのか、というのが最終的な感想。Vシリーズを読んでいても、そして自分の日記を読み返しても、犀川こそ四季と対話可能な人間だったということに、ここにきて再認識するとともに、ようやく飲み下すことができた。
 萌絵と四季と犀川と。「夏」と「秋」では四季の主観はほとんど入ってこないので、周りの様子から四季を思い描くことしかできないが、やはり「Fになる」のときの事件をきちんと振り返る必要がありそうだ。

 Fになるは読んだんだけど読書メモが残ってないんだよね、もう一度読み返そうかちょっとまよっていたりするのだ。

「夏」/森博嗣

 四季シリーズ2作目の「夏」

 四季シリーズは、S&MシリーズとVシリーズとをつなぐために、その裏に隠されたエピソードに触れるためのお話になっている。
 S&MとVを読んだだけでその背景を知ることができなかった人は、これを読んで「そうだったのか」ということになるし、ネットでたくさん書かれているように、そしてこのレビューでも書いてしまったように、いくつかの手がかりを元に推測をしていた人にとっては、「やっぱりそうだったんだな」とひとり顔を緩めてしまう、そんなサービス精神満点の作品なのである。

 今回はいよいよVシリーズと交差する。同時に四季の性格が少しずつ見えてくる作品である。当初四季は「並列処理ができるコンピュータ頭脳の人間」ということで考えていたけど、今作品では恋をしたりいろいろ悩んだりと大忙しだ。もっと冷徹な人間の設定なのかと思っていたら、意外と普通な部分が見えてしまって、これでは並列処理ができるところ意外は普通の人間に近い気がする。

「春」/森博嗣

 Vシリーズに続けて四季シリーズに突入。4部作の1作目「春」です。

 どうやらこの四季シリーズはミステリではないらしい。しかし、このサイトのレビューを常々読んでくださっている皆様ならそんなことはどうでもいいことだと一蹴してくださることだろう。その通りである。何度も何度もうるさいほど書くが、森博嗣の作品は、作品自体がトリックなのだ。

 紹介によればS&MシリーズとVシリーズをつなぐということだったが、今回の作品は四季の幼少時代を描く導入部。一人称が透明人間というやや不思議な設定で始まるが、森博嗣の作品に透明人間などという非科学的な(?)存在は不必要なのである。当然これは何らかの叙述トリックだと考えれば、これまでの森博嗣読者なら簡単に見抜けるトリックだ。ああ、もう頭脳が森博嗣病だ(汗

 どちらかというとVシリーズの登場人物がたくさん出てくると思ったら、そりゃあ時代的にそういうことだもんね。次の夏がどの時期かはしりませんが、いよいよVシリーズと絡んでくるのかな。

「赤緑黒白」/森博嗣

 Vシリーズ最終巻。いよいよここまできた、という感じだ。S&MとVシリーズの解決編!

 これまでVシリーズについては、結構ひどい感想を書いてました。「惰性で読んでいる感じ」だとか「シンプルすぎる」とか。
 ごめん、全部俺が悪かった!
 S&Mシリーズのときから、森博嗣作品については「犯人当てなんかどうでもいい。大事なのは全体のストーリーに仕掛けられたもっと大きな仕掛けだ」と書いてきた。そして、このVシリーズも例外じゃなかった。
 ――ネット上の情報ってすごいなぁ(汗

 S&MとVの時代関係に関するトリックは、「捩れ屋敷の利鈍」のときに紹介したとおり。これ以外で携帯が登場しないというのには、ちゃんとした理由があるわけです。
 同時にへっくんについての謎があったわけだが、そうすると苗字に関する謎があったわけです。その点について、本書の最後で述べられているのである。
 ええ、なんで? と思い返すと第1巻で「名前は林」としか紹介されていない。名前が林ですか、苗字は!!
 Vシリーズの登場人物全員名前が変、という設定は林にも適応されるわけで、逆に言うと「林だけ平凡な名前」というのがポイントだったのかなぁ(汗

 さて、こうやって犀川の視点を通じてS&MとVを読み返すと、シリーズを通して設定が緻密に設定されたものだということも見えてくる。犀川の妹が儀堂世津子というあたりまで含めて。

 あと、これもネット上にあったけど、S&MシリーズとVシリーズは、それぞれの巻に共通点を持つ仕掛けが仕掛けられている。こじつけのように見えるが、著者が意図せずして偶然起こることでもなかろう。

 あとは、真賀田四季がどのように関係するかがポイントである。S&MとVをつなぐのは、犀川と四季。そのうち四季についてはほとんど触れられていない。となると、自然と次の四季シリーズに期待がかかるわけです。

 うわー、これまでの20巻を読み返したいけどそんな時間がない!(涙

「太陽の塔」/森見登美彦

 最近の注目株みたいなので読んでみた「太陽の塔」。今回は一般的な感想ではなくて、ちょっと歪んだレビュー。世の中の誰も共感しないかもしれないけどね。

 本書のレビューにおいては世間的には「妄想劇」という表現がよく見られる。確かに妄想が妄想を呼んでいるような展開。時系列もむちゃくちゃで構成もぐちゃぐちゃ。それに加えてもてない京大生が書いた「俺は周りとは違うんだ」という主張にしか読み取れないと、amazonの評判とかもあまりよくない。
 けど本書では、誰もが人とは違っていて、作者はそのことを信じてその主張を思い切り歪ませて表現しているのではないかと思う。とはいっても冒頭~中盤だけか。振られた男の独白だというのに、この小さく激しい描写はすごい。なぜかパワフルさを感じた。

 ただ、読みにくい感じは初めて読む作品だからか。いろいろなエピソードが次々と織り交ざるのは、しょうがないけどちゃんと読もうとすると大変です。

「朽ちる散る落ちる」/森博嗣

 今日は書くことも思いつかないので読書レビューで。森博嗣の「朽ちる散る落ちる」を読みました。読み終わったのは7月27日だったんですけど。

 本を開いたらどこかで見た屋敷の地図。この前読んだばっかだよ!(汗
 というわけで、「六人の超音波科学者」で登場した謎屋敷がまた出てきます。とはいっても今回は地下だけですけど。
 今回はこれまでの伏線が実を結ぶ話。練無そっくりの少女の話がでてきたのっていつだっけ、と思いきや短編集じゃん!(短編集読んでおいてよかった!)

 そろそろVシリーズのネタバレが多くなってきました。へっくんのイニシャルS.S.だとか、過去の登場人物が再登場してきて物語を構成しています。
 無理矢理という気もしないでもないけど、次巻でどうまとまるのかに期待。Vシリーズを楽しむには、8巻ぐらい耐えないといけないのか……(笑

「捩れ屋敷の利鈍」/森博嗣

 今回は驚いた。簡単な紹介でいくと、保呂草と萌絵の競演となる。他のメンバーが登場しないということが特徴。内容は非常に簡単な事件だし、それほど深くもない。森博嗣の他の作品と並べてみても薄い(短い)ことからもそれは伺える。
 しかしだ。Vシリーズを掛けての謎掛けがここに潜んでいるといえる。

 なんかいろいろ書評を見てると、ああそうか、そういうことかという壮大なトリックが隠されている。とりあえずこのVシリーズでは保呂草の主観で物語が書かれ、そこに登場する恒例のメンバーとともに事件に迫るというセオリーがあるのに、今回はそれがない。そこがこの謎掛けの解答への道しるべになっている。

「六人の超音波科学者」/森博嗣

 久々の謎屋敷登場。犯人があれなのはどうしようもないけど。森博嗣作品に謎屋敷が出てくると、凝ったトリックがあるんじゃないかと考え込んでしまう。悪い癖だ。

 森博嗣の作品を読んでて作中の登場人物の理系的頭脳を垣間見ると、自分と似てると思ってしまう。世の中の理系人間は同じようにこんなことを考えているのかなぁ、って思ったり。
 読んでない人を置いていってしまうけど、今回は紅子たちがピンチになるシーンがあるんだけど、ここでも紅子は理系的に考えて上に逃げたりする。たぶん自分でも同じようなことを考えてしまうのではないかと。いや、咄嗟には無理だとも思うけど(汗
 地震が来たらP波とS波を感知できるか考えて、あわよくば震源までの距離を計算してみたり、ツバメが低空飛行していたら雨なのかなあと思ってみたり(それは違うか?)、結構科学的に物事を見てしまう悪い癖。

「恋恋蓮歩の演習」/森博嗣

 びっくりした。惰性で読んでいた感もある森博嗣作品だけど、ここにきてこんなに素敵な作品に出会えるとは思わなかった。最後の最後まで騙されてた。非常に森博嗣らしい作品だと。

 事件について今回も何もかけないけど、今回は人物の感情描写が多い。この点は森博嗣らしくないか。全体的には“らしくない”けど、トリックが“らしい”、という困った特性の作品。
 Vシリーズの中では、これまでは「黒猫の三角」の衝撃がお気に入りでしたが、2作目のお気に入り登場です。ぜひ読んで見て。

「しゃべれどもしゃべれども」/佐藤多佳子

 映画化もあって平積みになってたから買ってみた「しゃべれどもしゃべれども」

 主人公の落語家・三つ葉が、何人かの問題を解決するために奔走する話、と簡単に言い切ることはなかなかできない。主人公の落語家自身がそこまで完璧な人間ではない(作中ではあまりそのようなエピソードが挟まれているわけではないが)し、周りのキャラクターもそれぞれ悩みを持って動いていく。
 それぞれの問題を、少しだけ解決して、まだまだ残っているという感じのストーリー構成。目を見張るところはないけど、最初から最後まで読んでいてほっとする感じの文章だった。人間同士のあたたかさを読み取れる。